【書評】若井朝彦『江戸時代の小食主義 水野南北『修身録』を読み解く』に感動!

発行・花伝社、発売・共栄書房、2018年。水野南北『修身録』をかみ砕いて解説してある本。著者の、南北への情熱がありあまるほどあふれています。著者のその姿勢に感動すらしました。私の読者所要時間は2時間半。古文が使われていたりもあってなかなか難しかったけど、著者のいう「南北の真髄」に触れられたような感じがしました。そして、小食を意識するようになって体重が減りました。それまでは、つい手を伸ばして食べることが多々あったので。満腹になっていても。

 

人の内にはいのちの源である神がいる

南北は人の内にはいのちの源である神がいると考えていたから、酒食によってみずからが苦しむことは、神を苦しませることになると信じていたとあります。私も、自分の体の中には神がいて、それを大切にするべきだと感じています。なので、江戸時代を生きた南北が同じ考えを持っていると知って、とても救われました。やっぱりそうなんだ、と。自分の感覚だから人にはなかなか言えないし、それが合っているかどうかもわからなかったからです。

 

また、「天からの恵みの究極のものが食である。これを余計に食するということは、日々天から借りをしているのと同じことなのだ。(略)自分が借りたものは返す。これは天地の理である。(略)」とも。これは私の意見ですが、自分が借りている、と私が感じている「体」というものも、少しでも大切に扱って大切に返したいものです。

 

「我一飯をのこして人の飢を救ふの心」

南北思想の核心は、「我一飯をのこして人の飢を救ふの心」=「自分の食事を少しでも残すことで、人の飢えを救おうとする心」だとあります。壮大かもしれませんが、「ただひと口の施し」を日々の3度の食事の中で実践していくことなのです。食事を減らしたり残したりしたことは、人に言うわけでもなく自分にしかわからないけれど。
「(略)神は正直者の頭に宿りたまうという。そして濁ったものは受け取っては下さらない。自分が食するものの内から献ずるという、その志こそ受け取って下さる。(略)」

 

南北は人相見として有名でありましたが、それを説く姿と生き様は思想家。開運のためにはこうすればいい、という安易な捉え方ではとても間に合わないのです。

 

南北の思想でも重みのある言葉としては、自福を挙げられています。「だから慎むがよい。その慎みによって得られる境地を自福という。」自福とは、ここではみずからの身の丈に合ったつつましい幸せという意味。この意味を大きくも小さくもとらず、自分にちょうど合うものを探していきたいものです。

 

臣に対して君がなすべき慈悲

また、南北の思想は食以外にも、同じようにおよびます。人の「誠」については、物をどのように扱うのかによってわかり、そしてその振舞いがその者の行末にも大きな影響を与えるのだと言います。
「道具、品物が新しいあいだは大切につかう。だが古くなってくると粗末に扱うような者は、まごころがあるように見えていたとしても、決してそのような者ではない。(略)臣の最期を見届ける。これが君がなすべき慈悲なのだ。(略)」
南北が強い慈しみのこころで、世界の万物を貴んでいる姿が浮き彫りになります。

 

この本を通して、この著者を通して水野南北の思想に触れられたことを幸運に思います。以下、本文より。

南北は物が費えることを憂う。費えは罪である。だが余分の食物が身の内に入ることをもっとも恐れる。残す方がまだよい。わたしはこれが南北の真髄だと思っている。そのために南北はあらゆる言葉を用いて『修身録』を世に出したのである。P96より